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第1回で、Xで見つけた3D人体図を日本語化して公開した話を書きました。

骨だけを表示したり、筋肉や内臓を選んだり、気になる部位をクリックしたりできる。ブラウザで開くだけで、ぐりぐり回せるやつです。

触っているうちに、だんだん別のことが気になってきました。

ちょっと待ってくれ。これ、元の人体データは誰がどうやって作ったんだ?

誰かが趣味でBlenderを開いて、コツコツ人体を彫っていったのかと思ったのですが、調べてみたら全然違いました。しかも出発点は解剖学ですらなかったです。

ブラウザの中で分解されていく人体の3Dモデルを、はなげるげが見上げて考えているボクセルアート

BodyParts3Dとは何か

一言でいうと、人体の部位を名前だけでなく3D形状として収録した、立体的な解剖学辞典です。

普通の辞書で「大腿骨」を調べると、文字の説明が出てきます。BodyParts3Dの場合はそれに加えて、大腿骨がどんな形をしていて、体のどこにあって、周りの骨や筋肉とどういう位置関係なのかを、3Dデータとして確認できます。

作って公開したのは、大学や研究機関の生命科学データを整備してきたライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS)を中心とするチームです。プロジェクトが始まったのが2007年ごろ、最初のBodyParts3Dの公開が2009年。

ここまでは「研究機関が解剖学の教材を作ったのね」で終わる話なのですが、実はこの前にもう一段、前史があります。

始まりは「人体に電波がどう吸収されるか」だった

携帯電話や無線機器からは電波が出ています。では、その電波は人体のどこに、どのくらい吸収されるのか。

これを調べたいとき、実際の人間を使って好きな条件で何度も実験するわけにはいきません。そこで必要になったのが、コンピューターの中に作った人体でした。

情報通信研究機構(NICT)、北里大学、慶應義塾大学、東京都立大学などの研究者が、日本人成人の全身MRI画像をもとに、電波の吸収を計算するための数値人体モデルを開発します。男性モデルがTARO、女性モデルがHANAKOです。

TAROは、日本人成人男性の平均的な身長・体重に近いボランティアを全身MRIで撮影して、その画像を縦・横・奥行き2mmの小さな立方体に区切って作られています。この立方体をボクセルと呼びます。画像のピクセルを立体にしたようなものです。

全身は膨大な数のボクセルでできていて、そのひとつひとつに「骨」「筋肉」「脂肪」「肝臓」といった組織の情報が割り当てられています。

いまならAIによる自動抽出を想像するところですが、当時は十分な精度の自動判別技術がありませんでした。そのため、医療スタッフがMRI画像を見ながら手作業で組織を分類しています。元になった研究では、組織の識別だけで3年以上かかったと報告されています。

3年です。全身のボクセルを、人が見て、人が振り分けている。

つまりTAROは単なる3Dキャラクターではなくて、実在する人物の全身MRIをもとに、医療スタッフが長い時間をかけて組織を識別した研究用の人体モデルでした。

ただし、TAROは解剖学辞典ではなかった

とはいえTAROの目的は、人体解剖を細かく学ぶことではありません。電波が人体にどう吸収されるかを計算することです。

そのため、体は約50種類の組織や臓器に分類されてはいるものの、解剖学の教材として見ると粗い。

たとえば「筋肉」という分類はあっても、そのままでは大殿筋、中殿筋、大腿四頭筋、前脛骨筋といった個々の筋肉を選んで観察することはできません。電波の計算には十分でも、「この筋肉だけ表示したい」には足りないわけです。

そこで、TAROという全身の土台を使って、人体をもっと細かい解剖学的パーツへ分けていくプロジェクトが始まります。それがBodyParts3Dです。

MRIを細かく分ければ完成、ではない

ここが個人的にいちばん面白かったところです。

BodyParts3Dの原著論文では、制作工程が大きく3段階に分けて説明されています。最初の段階でやったのは、TAROのデータに新しい解剖学的な区分を追加すること。大きくまとめられていた組織を、より細かな臓器や筋肉、骨へ分けていく作業です。

ただ、MRIを見れば人体のすべてがくっきり映っているわけではありません。

細い神経や血管、小さな構造、隣り合った筋肉の境界などは判別しにくい。そもそも2mm間隔のデータでは表現できない形もあります。

そこで次の段階では、3D制作者が専用ソフトを使って、不鮮明な輪郭を整え、足りない構造を補っています。その際に参考にされたのが、Gray's Anatomyをはじめとする解剖学書、脳アトラス、臨床画像、医学イラスト、スキャンした人体模型などです。

なので、BodyParts3DはMRI画像をボタンひとつで3D化したものではありません。中身は次の3種類が混ざっています。

  • MRIから得られた形
  • MRIをもとに人間が輪郭を整えた形
  • 解剖学の資料を参考にして補完・作成した形

言ってしまえば、MRIを土台にして、医学知識と人の手で完成度を高めた標準人体の設計図に近いです。

「このパーツは何なのか」をコンピューターに教える

人体の形を細かく作っても、それだけでは3Dオブジェクトの集まりでしかありません。データベースと呼ぶには、どのカタマリが何なのかをコンピューターが分かる必要があります。

そこでBodyParts3Dでは、各パーツをFMA(Foundational Model of Anatomy)という解剖学の体系に対応させています。

FMAは、米国ワシントン大学で開発された、人体の構造をコンピューターで扱うための解剖学オントロジーです。オントロジーと聞くと身構えますが、ここでは人体の名称と関係を整理した巨大な分類表くらいに考えておけば大丈夫です。

たとえば、こういう関係をコンピューターに理解させます。

  • 大腿骨は骨の一種である
  • 大腿骨頭は大腿骨の一部である
  • 大腿骨には左と右がある
  • 左右の大腿骨をまとめると「大腿骨」という上位の概念になる

BodyParts3Dでは、個々の3D形状にFMAの識別番号を割り当てました。さらに「これは何の一種か」「これは何の一部か」という関係を使って、小さなパーツから大きな解剖学的概念を組み立てられるようにしています。

これが、BodyParts3Dが単なる人体CGではなくデータベースと呼ばれる理由です。

「一種である」と「一部である」を分ける意味

この2つは似ているようで役割が違います。「一種である」は分類の話で、大腿骨をたどっていくと骨、器官、と上位の概念にさかのぼれます。「一部である」は組み立ての話で、大腿骨頭や大腿骨頸といった部品を集めると大腿骨になる、という関係です。

この2種類の関係が付いていると、「下肢の骨を全部表示して」のような指定を、人が一個ずつ選ばなくてもコンピューター側でたどって集められます。3Dの形だけを配布した場合と、ここが決定的に違います。

誰が作ったのか

BodyParts3Dは、役割の異なる人たちによる共同制作でした。

公式情報によると、プロジェクト構想・設計と解剖概念のマッピングを医師の大久保公策氏が担当。パーツデータの生成をKaori Fujieda氏とShio Imai氏、DICOM画像処理をNobutaka Mitsuhashi氏とKaori Fujieda氏が担当しています。

システム設計・実装にはTakuro Tamura氏、Nobutaka Mitsuhashi氏、Isamu Muto氏、Bits Co., Ltd.などが関わり、DBCLSとNBDCが維持管理を担当。資金面では文部科学省と科学技術振興機構(JST)のプロジェクトが背景にあります。

研究成果は2009年に、生命科学分野の査読付き学術誌『Nucleic Acids Research』へ掲載されています。

つまり、出所不明のフリー3D素材とはかなり性格が違います。誰が、何をもとに、どういう目的で作ったのかが公開されていて、研究論文とデータセットが残っている。

じゃあ、どこまで正しいの?

ここまで読むと「研究機関がMRIから作ったのなら正確なんでしょ」と思いたくなるのですが、ここは少し慎重に考えたほうがよさそうです。

信頼できる理由と、公式が認めている限界を並べてみます。

信頼できる理由 公式が挙げている限界
全身MRIを基礎にしている 一部のパーツは制作者が資料を参考にゼロから作った
医療スタッフが組織を識別している 全身モデルに収めるため形を調整した部分がある
医師が解剖概念の対応付けに関わっている 細かなパーツでは名称の割り当てが曖昧になる場合がある
標準的な解剖学書やアトラスを参照している まだ表現されていない解剖概念がある
FMAや解剖学用語集と対応している データに誤りが含まれている可能性がある
査読付き論文として発表され、公的機関が維持・公開している 人体の共通特徴をすべて備えた完全な標準モデルではない

限界のほうを公式サイトがかなり正直に書いているのが、個人的には好感度が高いです。

そしてもうひとつ大事なのが、土台になったTAROは、たくさんの人のデータを平均化して作ったものではないということ。平均的な体格に近い、特定の日本人男性のMRIが基礎になっています。

人間の体には個体差があります。性別、年齢、体格でも違うし、血管や神経、筋肉には解剖学的なバリエーションもある。

なので、BodyParts3Dは「すべての人間に完全一致する人体」ではありません。解剖学的な地図としては有用だけれど、一人ひとりの体を再現したデジタルコピーではない。この理解がいちばん近いと思います。

2013年、BodyParts3D 4.0へ

BodyParts3Dは2009年のRelease 1.0から更新を重ねています。

  • Release 1.0:2009年2月
  • Release 2.0:2010年4月
  • Release 3.0:2011年6月
  • Release 4.0:2013年5月

Release 4.0では、骨格の位置調整に加えて、肺・肝臓内の血管、脳動脈、全身の動静脈、眼球内部、咽頭・喉頭などが追加されました。

公式アーカイブでは、BodyParts3D 4.0のOBJ形式のポリゴンデータと、解剖名称、パーツ同士の関係を記録した表を、いまもダウンロードできます。この公開データが、いろいろな人体表示サービスや研究、3Dモデルの土台として再利用されています。

そして、ブラウザで動く人体ビューアへ

第1回で日本語化した3D人体図、Human Atlasも、この公開データの上に立っています。

作者のashemag氏は、BodyParts3D 4.0の公式配布データを使って、ReactとThree.jsで動く現代的なWebアプリに作り直しました。BodyParts3Dそのものを作ったのではなく、2,234個の人体パーツをブラウザ上で軽快に表示して、検索・選択・分解できるようにした、というのが正確なところです。

そのために、元の形状はWeb表示向けに軽量化され(リポジトリの説明では、構造ごとに0.2%の誤差までという条件で簡略化しているそうです)、複数の形状がまとめて描画されています。15系統という画面上の分類も、このアプリ向けに整理されたものです。

ちなみにアプリのコードはMITライセンス、解剖データのほうはクレジット表示が条件のCC BYで、両方が明示されています。だから第1回のように、他人が手を入れて公開することもできる。ここも「公開する」の一部だと思います。

見た目は最新なのに、その奥にはこれだけの積み重ねがあるわけです。

  1. 日本人男性の全身をMRIで撮影する
  2. 医療スタッフが3年以上かけて組織を分類する
  3. 電波研究用の人体モデルTAROを作る
  4. TAROをさらに細かな解剖パーツへ分ける
  5. 不明瞭な形を解剖学書や医学資料で補う
  6. 各パーツをFMAの解剖概念と結び付ける
  7. データを無料で公開する
  8. 別の開発者が、現代のブラウザで動くアプリへ作り変える
  9. それを見た誰かが、日本語で触れるようにする

こうして並べると、「どうやって作ったんだよ、これ……」への答えは、一人の天才が短期間で作った、ではありませんでした。研究者、医療スタッフ、3D制作者、システム開発者が長い時間をかけて作り、公開されたデータを別の開発者が受け継いだから作れた。最後のほうに、日本語化しただけの僕もちゃっかり乗っかっています。

これがオープンデータとオープンソースの面白さなんだと思います。

BodyParts3Dが本当にすごいところ

正直に言うと、BodyParts3Dの3Dモデルが現在の有料解剖アプリより美しいかというと、必ずしもそうではありません。

データも古いし、細部には誤りや不足があるし、特定の男性1名を基礎にしています。

それでもすごいのは、人体の形を眺められることではなくて、人体の各部位を共通の座標と共通の名称で扱えるデータにして、それを誰でも再利用できる形で公開したことのほうです。

普通、これだけの人体データをゼロから作ろうとしたら、MRI設備、被験者、医療知識、解剖学資料、3D制作技術、データベース設計、Web開発が全部必要になります。個人でどうにかなる規模ではない。

でもBodyParts3Dが公開されているおかげで、個人開発者でもその積み重ねの上から新しいものを作り始められます。自分ひとりでは到底作れないものが、公開された研究データをたどることで、手の届く場所まで近づいてくる。

Human Atlasを見て驚いたのは、派手な3D表現だけではありませんでした。その背後にある20年以上の研究と、人の手による地道な作業。そして、それを次の誰かが使えるように公開する文化そのものです。

もし興味が湧いたら、まずは公式のダウンロードページを覗いてみてください。何が、どういう形式で、どんな条件で置かれているのか。それを見るだけでも、「無料で公開する」がどれだけの作業の上に成り立っているのか伝わってくると思います。

そして、実際に触ってみたくなったら第1回へ。Xで見つけた3D人体図を日本語化した話です。

第1回:GPT-6 Astraで作られた3D人体図を、日本語化してみた

実際に触るならこちらです。→ human-atlas.pages.dev

参考資料


制作体制・リリース履歴・データの限界は、2026年9月6日時点で各公式サイトと原著論文に書かれている内容をもとにまとめています。データの再利用条件は、利用前にかならず公式のライセンス表示を確認してください。